自由意志は存在しない。

あなたは好きなように思考していると思い込んでいるが、
本当にそうなのだろうか。

あなたは本当に好きに思考できているのだろうか。
次の瞬間、どの思考をするか選んでいるのだろうか。

ここで実験をしてみよう。

今から10秒間、目を閉じて自由に何かを考えてください。

それではスタート。









ーーーーーーーーーーー

どうですか?

何かしら考えましたか?

「お腹すいたな」
「あの仕事まだ終わってない」
「昨日のあれ、やっぱ気になる」
「何考えようかな?」

いろいろ浮かんだと思います。

では、ここで質問です。

その思考はあなたが選んだものですか??

「考えているのは自分だから、自分が選んだに決まってるじゃん」

あなたはこう思うかもしれない。

だが、それはあなたが“自主的”に選んだものなのですか?

ただ勝手に浮かんできただけではないですか?

「自主的に選ぶ」

「どこからかやってくる」

これらは全く別のものです。

あなたが「自分で選んだ」と言うなら、
本来こうでなければなりません。

① 無数の選択肢を把握し、

②その中から「これ」と決めて、

③ 選んだ思考を出す。

これが“選択”です。

ではあなたは、10秒間の間に

  • 無数の可能性(旅行のこと、仕事のこと、恋愛のこと、過去のこと、数学のこと、宇宙のこと、、、)
  • それらすべてを一度検討し
  • その中から「よし、これにしよう」と選ふ

、、、そんなことをしていたのだろうか?

おそらく、していない。


むしろ、

ただ思い浮かんでくるを目撃していただけではないだろうか?

“選ぶ”というより
“来たものを見ていた”だけ。


ーーーーーーーーーー


ここまで聞いたあなたは、こう思うかもしれない。

「いや、無意識のレベルで選んでいるんだろ。
意識してないだけで、自分が選んでいるのには変わりないはずだ。」

なるほど、一見もっともだ。

しかし、この反論が成立するためには、

無意識が

・すべての候補を把握し
・すべてを比較し
・その中からひとつを決定し
・それをあなたの意識に押し上げる

というプロセスが必要になる。

だがここには一つの決定的な疑問が生まれる。

「無意識の選択は誰が決めているのか」


その無意識の中身は
誰が作ったのだろうか?

・過去の記憶
・習慣
・性格
・環境
・教育
・経験
・健康状態
・遺伝的傾向

全部、“あなたが選んで作った”ものではない。

そのたった一つの思考の誕生には
これらすべての要因が含まれる。

これらをあなたはコントロールできない。


「習慣を変えれば、それらは変わる」
「環境を変えれば、教育を変えれば、、、」

と思うかもしれない。

だがその「習慣を変えよう」「環境を変えよう」「教育を変えよう」

という思考すらこれらの要因から生まれていることに気づかなければいけない。


ーーーーーーーーーー

たとえあなたがどんな反論を述べようが、
その反論は必ず既に決まっている要因から生まれている。

あなたは無力だ。

同時に皆、無力だ。

ここで多くの人は、
「無力」という言葉に抵抗を感じるだろう。

無力=ダメ
無力=負け
無力=価値がない

そんなイメージが浮かぶかもしれない。

だが、それは大きな誤解だ。

無力だからこそ、人は楽な道にしか進めない

よく考えてみてほしい。

もし本当に自由意志があるなら、
あなたは「わざわざ苦しい道」を選ぶこともできるはずだ。

理由もなく不幸になる。
理由もなく自分を壊す。
理由もなく地獄を選ぶ。

だが、実際はどうだろうか。

あなたが遊びより勉強を選ぶとき、
それは勉強のほうが“楽”だからだ。

あなたがダラダラとスマホをスクロールするより
ジムに行くことを選ぶとき、
それはジムに行くほうが“ 楽”だからだ。

ここで言う「楽」とは、
快楽のことではない。

・納得感
・安心感
・一貫性
・自己イメージとの整合性

それらすべてを含んだ
その瞬間において、もっとも抵抗の少ない道のことだ。

罪悪感・焦り・自己嫌悪・未来への不安
こうした苦痛を感じ続けるほうが“つらい”から勉強、ジムを選ぶのだ。

「苦しい道を選んだ」という思い込み

「俺は苦労してここまで来た」
「我慢して、努力して、耐えてきた」

そう語る人は多い。

だが、冷静に見てみると、
苦労したと思うほうが楽だった」だけだ。

・そう思うことで意味が生まれる
・そう思うことで自分を肯定できる
・そう思うことで物語が完成する

だから、その思考が選ばれただけ。

人はみな一度たりとも
「楽じゃない道」を選んだことがない。

選べないのだ。

楽な道しか進めないという事実

人は、

楽な道しか進めない。
楽な道しか進まない。
楽な道しか進めるようにできていない。

これは堕落の話ではない。

構造の話だ。

思考も、選択も、行動も、
すべては条件が揃った結果として
もっとも自然な流れに沿って起きている。

だからこそ、

あなたが今ここにいることも、
この文章を読んでいることも、
「自由意志がない」という話に
強く引っかかっていることも、

すべてが必然だ。

無力は、敗北ではない

あなたが無力だという事実は、
あなたを小さくするものではない。

むしろ逆だ。

・責める必要がなくなる。
・後悔する理由が消える。
・他人を裁く意味も比較する意味もなくなる。

すべてが
最初からそうなるように起きていた」と知るからだ。

無力とは、
人生を放棄することではない。

無力とは、
人生がすでに完璧に動いていることを認めることだ。

その瞬間、
人は初めて本当の意味で、力を抜く。

ーーーーーーーーーー


思考が立ち上がるその瞬間を注意深く観察してみよう。

あなたは衝撃的な真実に気がつくはずだ。

「すべてが全自動的に起きている」という奇跡を目撃する。

(おまけ)

「自由意志が存在しない」

とはビリヤードの玉突きのようなもの。

一つの玉が動くとき、

  • 直前に当たった玉があり
  • その前にも当たった玉があり
  • さらにその前にも条件がある

速度、角度、摩擦、重さ、配置
すべてがすでに決まっていた条件の結果として、
「今の動き」が起きている。

思考が生まれるときも同じ。

  • 過去の記憶
  • 習慣
  • 性格
  • その瞬間の体調
  • 直前の刺激
  • 環境
  • 無意識の傾向

これらが衝突して
「今この思考」「今この選択」が起きているだけ


「では、最初に打ったのは誰だ?」

と思うかもしれないが、

それは「最初の揺らぎはどうやって生まれたのか?」
という前回の記事の問いと同じ。

同じ次元に存在しないものに答えはない。

大切なのは、
あなたがそのすべての「動き」の外側で、
ずっとそれを見ているという事実だ。

決して脅かされること無く、
常に平安で至福にいながら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です