2022年 4月6日北海道大学を辞めました。

こんにちは、チャーリーです。

この記事は僕が通っていた大学、北海道大学をやめたときの
気持ちを忘れないように書いた記事です。

自分の初心を忘れないようにするためにも
書き残しておきます。

今みたいにお金も時間も自由になれたのは
大学を辞めて、
中国輸入ビジネスに出会ったからです。

ですが、この時は物販始めたてで
やっと1商品売れたぐらいの時期で
不安でいっぱいでしたね。

それでも、

「俺なら絶対成功できる」

と、根拠のない自信と覚悟を持って辞めました。

そして、無我夢中に集めた情報をもとに
行動しまくって、3ヶ月目には月商80万月利30万超えました。

だから、今なら
北海道大学を辞めて良かったと
胸張って両親にも言えますが、

当時は途方も無い不安でいっぱいでした。

今回の記事は、
僕がどんなことを考えて、大学を辞めたのか
についての記事です。

皆さんにも知ってもらえると嬉しいです。

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チャーリーです。
タイトル通り、3年間通っていた北海道大学を辞めることにしました。

僕の友人達は、
ちょうど新たな学年に進級する頃ですが、
僕は大学の事務局に行って、退学届を出す日です。

単位は取り終わったので、
あとはテキトーに論文書いて、
来年には卒業して、
旧帝大卒の肩書が手に入る。

大手に就職して、
そこそこ稼いで、安定した幸せな家庭を築ける。

それに対して、


目処が立っていない収入源、
バイトで食い繋ぐ日々、

周囲には強気でいたけど、
いろいろな不安要素がいっぱいで、
吐きそうです。

「自分にはまだ早いんじゃないの?」

「本当はもう少し我慢して、
大卒の肩書を手にしてから辞めても
良かったんじゃないの?」

いつもはそう思ってしまう自分に

「タイミングを逃すと
結局どんどん先延ばしになる」

「サラリーマンになるつもりがないのに
あと一年間大学卒業を待つのは時間の無駄だ」

「むしろ自分を一番崖っぷちに
立たせられるベストタイミングだ」

と言い聞かせますが、

本当にやめることになる今日は特別で、
いつも論理的に考えていましたが、感情に負けてしまいました。

なので、気を取り直して
自分の気持ちを文字に書き残したいと思います。

なぜ、大学を辞めるのか。

答えは単純で、父のようになりたくなかったからです。

僕の父は、東北大学を卒業して、
現在一部上場企業でサラリーマンをしています。

毎朝5時には起きて
支度して、会社に行き、

夜の8時に帰ってきます。

帰ると、ソファーにぐったりして、
テレビを見ながら、
ビール片手に大好きなピーナッツをつまむ。

10時ぐらいになり、そろそろ眠くなると、
お風呂に入って、就寝。

これを月から金までひたすら繰り返す。

土日は、部下からの連絡に時々対応しながら、
マネジメントの勉強をしたり、英語の勉強をしたり。

取引先の人や上司とゴルフをしたり。


まあ、ごく普通のサラリーマンに思えますが、
僕にはある疑問がどうしても湧いてきます。


「なんのために生きているんだろう?」
「毎日同じことを20年、30年繰り返して楽しいのだろうか。」
「自分が死ぬ時に、楽しみきったって言えるのだろうか。」と

語弊を招きたく無いので、断っておきますが、
父が僕や家族のために必死に働いてくれていることには、
もちろん感謝してます。

だけど、それ以外に何があるのだろうか。


「父さんの夢とか希望ってなんなんだろう?」

僕には夢があります。

それは「世界中を旅して、さまざまな価値観に触れること」です。

僕は高校2年の夏休みに一人でアメリカに行ってきました。

飛行機から降り立った瞬間に感じた、日本とは違う
なんとも言えない雰囲気。

サンタモニカのビーチで出会った気さくで開放的な人々、
彩り豊かで映画でしか見たことなかった、どこか懐かしい風景。

日本では妙に閉塞感を感じていたが、
一気に解放されたあの感動と衝撃。


「世界にはこんなに素敵な場所があるんだ。
大人になったら旅しまくってやる!!」

と誓ったことを今でも覚えています。

この夢を叶えるために、サラリーマンになるわけにはいきません。

必ず自分の力で稼げるようになり、
時間、場所、人間関係の自由を手に入れなければいけません。

そして最後の決め手となったのは、
ある日父と交わした何気ない会話でした。

「いやぁ。この前部下(40歳ぐらい)が休憩時間中に会社のケータイでYoutube見たら、
呼び出されちゃってさ、、

これで3回目だから、厳重処分が下されそうでね、、」

父は何気なく話していますが、

僕はドン引きしてました。

「40にもなって、会社のケータイでYoutubeも見れないのかよ、、
しかも休憩時間なのに、、


ああ、サラリーマンって情けねぇな、、」と。

「こんなに不自由だったら、
定期的に旅行なんて行けるわけないじゃん。


就職したら、一生社畜か、、」と絶望しました。

もうこの時点で腹は括りました。

社畜になってたまるか。

必ず世界中旅して、人生エンジョイしまくってやる。

そして、コミュ障の引っ込み思案で、
毎日飲み会でウェイウェイしている知り合いを僻んでいたけど、

いつか最高の仲間と出会って、自分もウェイウェイしたい!

2022年4月6日 チャーリー 門出の日

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こんな感じです。

いやぁ、つい8ヶ月前ですけど、

若いですね笑

そんなに昔の話ではないのに、

若く感じるのは、

それだけ成長したからですね。

中国輸入ビジネスを始めて、

月商120万、月利50万達成した今でも、

僕の最終ゴールは

「最高の仲間を作ること」と「旅しまくること」

にかわりはありません。

コミュ障で、恥ずかしがり屋さんで
自信がないダメダメだった僕が


いかにやりたいことをやり、かけがえのない仲間を作り、
人生を楽しめるのか。

僕はこれからもどんどん挑戦していくし、
最高にエキサイティングな人生を送ります。

ではでは。



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僕は中国輸入と出会い物販を始め、
月収100万円以上稼げるようになり、人生激変しました。
元々北海道大学で大学生をしていましたが、
中退して、一人でほぼ働かずに上記の金額を稼いでいます。
たぶん、超絶怪しいですよね。

お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕は元々ビジネスが得意だったわけでもなければ、
しゃべることも、書くのも大嫌いでした。

そんな僕でも今では自信を持つことができて、
月収100万円以上稼げるようになりました。

プライベートにもとても良い影響をもたらしています。
結局慣れなんですよね。

才能なんて入りません。
学んでいけば誰でも自信を持ち、稼ぐこともできる。

僕チャーリーがビビリのコミュ障から月収100万円稼ぐ過程を
下記の記事で公開しています。

月収100万超えチャーリーの成り上がり日記

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