こんにちは。KEIKOです。
前回、引き寄せの法則についてお話しました。
簡単におさらいすると
「充足感は豊かな現実を引き寄せ、欠乏感は欠乏した現実を引き寄せる」
ということでした。
そして充足感を感じるには
「無くなったものではなく、得たものに焦点を合わせる」
という簡単な視点の移動で事足りる、ということでした。
では「無い」を”頑張って”無視して「ある」に注目するのかというと違います。
その「無い」という感覚自体が本来存在しないものだからです。
詳しく見ていきましょう。
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多くの方にとって欠乏感を感じる流れは以下の通りになるかと思います。
・お金を使う→お金が減る→欠乏感
一見当たり前のこの流れについて、今回は徹底的に疑ってみたいと思います。
「お金を使う→お金が減る」
ここの部分については反論できる要素は無いですね。
100人いたら100人こうなります。
「お金を使う」ということは「お金をサービスと交換する」ということであり、あなたはお金と引き替えにサービスを得る、ということです。
(当たり前ですね。笑)
「お金が減る→欠乏感」
ではここの部分はどうでしょうか?
「お金が減る」という事象に対して、そこに欠乏感は必ず生じるものなのでしょうか?
別の言い方をしましょう。
あなたはいままで誰かに
「お金が減ったら欠乏感を感じなさい」
と強制されたことが一度でもあるのでしょうか?
「え?何言ってるの?強制されたわけじゃないけど、お金が減るのが嫌じゃない人なんていないよ!100人いたら100人欠乏を感じるに決まってる」
うんうん。それですよ。
その考え方がまさにあなたに欠乏を経験させているんですよ。
良いですか。
「お金が減る」というのは単なる事象、出来事に過ぎません。
そこに勝手に「欠乏」という意味付けを行っているのは他でもないあなた自身なのです。
「いやいや、お金が減るっていうのは欠乏でしかないよ!生活していくためには
家賃、電気、ガス、水道、食料品、嗜好品、、、
を手に入れる必要がある。
消費をすればするほど、それに応じてお金は一方的に目減りしていく。
やがて資金が底をつけば、消費ができなくなる。
そんなことになったら生活が脅かされてしまう。
これをどう「欠乏」以外で認識するんだよ!」
あなたの主張は十分理解できます。
しかしそれでも「お金が減る」ことを不足と結論付けているのはあなた自身なのです。
「あくせく働かなければお金を得ることができない」
これはある意味真実です。
しかしそれは”そのように信じている人”にとってだけの「真実」なのです。
本当は何もしなくても必要な豊かさは勝手に与えられます。
なぜか。
あなたが “存在している” からです。
生きているということは、この世界があなたが存在するために必要なすべてを、すでに用意しているということなのです。
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あなたは今、息をしています。
深く意識せずとも、自然と空気が体に入ってくる。
その空気は、誰かから借りたものでしょうか?
あるいは何かと交換したり、努力して得たものですか?
違いますね。
「あなたがここにいる」
ただそれだけで、空気はあなたに届いています。
「あなたが今ここに存在している」
そのたった一つの事実だけで、
「命の源」の一つである空気が、惜しみなく与えられているのです。
それは、赤ちゃんも同じです。
何もできない赤ちゃんに、誰かが「ごはんを食べさせよう」「あたたかくしてあげよう」と手を差し伸べる。
それは「何かをしたから」ではなく、「存在しているだけで愛しいから」です。
同じように、あなたの人生にも、見落としているだけで 「何もしていないのに、与えられていたもの」が山ほどあるのです。
たとえば太陽の光。
太陽は毎日、当たり前のように空を照らし、私たちに光とエネルギーを届けてくれます。
あなたが昨日悪いことをしたかどうかなんて、太陽は気にしません。
お金を払っている人だけに光を与えているわけでもありません。
ただ「そこにある」だけで、世界を照らし、あなたの体を温めてくれます。
これは自然界は、ただ“ある”ことに正当性があり、“ある”ことに十分価値があるという証明に他なりません。
この世界は、最初から“足りている”という前提で設計されているのです。
ではなぜ、私たちは「足りない」と感じてしまうのでしょうか?
それは、“足りないと思い込んだとき”だけ、豊かさとのつながりを自ら切ってしまうからなのです。
「欠乏感」とは、現実に欠乏があるから感じるのではなく、“足りないはずだ”という信念を持ったときにだけ、生まれる感覚なのです。
では木々は、どうでしょうか?
何か特別な努力をして、空や土と交渉して生きているでしょうか?
誰かに許可を取って、光や水をもらっているのでしょうか?
違いますね。
木はただ、そこに“在る”だけです。
それでも、太陽は光を与え、雨は水を注ぎ、風はそっと葉を揺らす。
それは木が「生きている」からです。
つまり、「存在していること」そのものが、受け取るに値する証明なのです。
では、こんなことを想像してみてください。
ある日、木がこう考え始めたとします。
「二酸化炭素を吸いすぎたら、いつかなくなるかもしれない。
だから、少しだけ吸って節約しよう。」
そうやって、木が必要なものを必要な分だけ受け取ることをやめたら、どうなるでしょう?
本当は周りにたっぷりあるのに、 「足りないかもしれない」という恐れから、それを取り込まなくなってしまう。
結果として、木は自分自身で、“不足しているような体験*をつくり出してしまうのです。
現実には足りているのに、心の思い込みによって足りなくなる。
まさにこれは、「欠乏感の自作自演」です。
そして「二酸化炭素が不足している」という信念をもつ木々は永遠に充足を経験することはできません。
我々人間も同様です。
人間も自然界の一部であり、お金も当然、自然界の一部です。
「私は経済的に欠乏している」
ここには「不足に正当性を与えている信念」があります。
この信念に呼応して現実もそのように見えてくるのです。
「自分は足りない」「もっと頑張らないと価値がない」
こうした思考が現実を形づくるのであって、この世界は、はじめからあなたに敵意など向けていません。
不足は存在しません。
欠乏感を感じる正当性など全く無いのです。
どうぞ今すぐ手放してください。
その瞬間、あなたの現実から不足は跡形もなく消え去ります。
ーーー今日のレッスンーーー
今回はかなり抽象度の高いことをお話しました。
「言いたいことはわかる。でもなんかしっくりこないような。。」
という方もいらっしゃるかと思います。
無理に理解する必要はありません。
今回の講座が淀みなく腑に落ちるとき、あなたはもう不足とは縁の無い生活を送っています。
大丈夫です。折に触れて見返してみてください。
必ず何かに気づくときがやってきます。
では今日のレッスンです。
「あなたが何もしていなくても与えられていたもの」を書き出してみましょう。
たとえば、、
空気。
朝の光。
静かな安心。
名前を呼ばれること。
誰かの笑顔。
ひとりでいる時間。
きっとあなたは気づくはずです。
「そうか、私って“存在しているだけで”いろんなものを受け取っていたんだな」と。
そう気づけたら、もうしめたものです。
あなたの“デフォルト”は、すでに豊かさです。
