シラフの世界から見た願望実現

「シラフの世界から現実世界を考察」というブログ記事の続きです。


シラフの世界、つまり真実の視点からこの世界を見ると

どう見えるのか。



・願望に大きいも小さいもない。

・正しいも間違いもない。

・善悪は存在しない。



わかりやすく例えると、あなたが小説家だとする。

その小説で何を書こうが、あなたの自由。


「100万円拾った」

と書いても

「100億円拾った」

と書いても

ただ文字を変えたぐらいで、難易度は何も変わらない。


「AくんがBくんを理由もなく殴った」

「その後、Aくんは幸せに暮らした」

と書いてもなんの問題もない。


これが真実の視点。


すべてが一コマの映像に過ぎす、


どれを採用するかは、完全に自由。


どれだけ現実世界で

「これが正しい、これが間違い!!」

と主張しても

「そのフィルムを選んでる」

にしかならない。


あなたが「これをしたらこうなる」

と思い込んでるうちは

そのフィルムを選んでいることになり、

それがあなたにとっての唯一無二の真実であるかのように映る。

だって、実際にそうなっているのだから。


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ではシラフの世界、即時世界の自分にとっての願望とはなんだろう。

現実世界のように、

「それは達成が難しいものだ。」

「何かを犠牲にしなければ、、」

「努力、根性!!」

という信念が全く無い。


「願望を抱く」

それは寝相を変えるようなもの。


理由も何も無い。

そっちに行くほうがなんとなく気分が良い。

なんとなく心地よい。

そんなもの。


なんで、”私”はここにいるのか。

この「時間」が存在する即時世界にいるのか。

そこにも理由は存在しない。

ただただ心地よいから。

ただそうしたいだけ。

「時間」を通して世界を眺めてみたかったから。







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