前回、あなたの正体は「それ」であり、
「愛、至福そのものである」
というお話をしました。
続きです。
「あなたの正体は「愛」そのもの」
と言われても、
これを読んでいるあなたはあまりピンとこないかと思います。
「自分が愛そのものなら、どうして苦しみを感じているのか。」
「私が至福そのものなら、どうして願望は叶わないのか。」
あなたの疑問はもっともです。
今回はここについて詳しく解説していきます。
ーーーーーーーーーー
あなたが苦しみを感じる理由、
それは あなたが自分を忘れているからです。
“自分を忘れる” とはどういうことでしょうか。
身体の痛みが自分だと思い、
思考のざわめきが自分の声だと思い、
感情の波が「私の気分」だと思い、
通り過ぎていく景色のすべてを“現実だ”と信じてしまうことです。
それらはすべて 観測される側 です。
・身体は観測できる
・思考も浮かぶ
・感情は湧いては消える
・感覚は常に移ろう
これらはすべて 入れ替わるもの です。
あなたは、その 移ろうものを「私」だと誤認している のです。
まるで、夢の中の出来事を本当の現実だと思い込むように。
ーーーーーーーーー
「それ」が苦しむことはありません。
本来の自分である「それ」に留まるとき、
苦しみは起こり得ません。
・「それ」は変化しない。
・「それ」は傷つかない。
・「それ」は時間を持たず。
・「それ」は比較せず。
・「それ」は不足という概念すら持たない。
至福とは、変わらない“在る”ことの自然の状態。
特別なポジティブ感情でもなく、
興奮でもなく、
成功体験でもない。
もっと静かで、もっと穏やかで、もっと深い。
“在る”ということそのものが至福。
ーーーーーーーーー
「身体」「思考」「感情」「感覚」と同一化する時、
あなたは夢を見ます。
その自覚はありませんが。
「自分がこの身体だったら」
「自分がこの思考だったら」
「自分がこの感情だったら」
「自分がこの感覚だったら」
という前提でこの世界を見ることになる。
あなたは決してここを疑わない。
それを絶対的な真実だと思い込む。
すっかり幻想に入り込んでいる。
身体が傷つけば自分が傷つき、
体調が悪ければ自分が悪いと思う。
「思考が私だ」と思えば、
湧き起こる思考に責任を持つことになる。
「感情が私だ」と思えば、
感情の波に飲み込まれ、
幸せと不幸を延々と繰り返す。
ーーーーーーーーーー
あなたが観測者に戻った瞬間、夢は夢だとわかる。
あなたがほんの数秒でも
身体・思考・感情・感覚から距離を置くとき、
苦しみは薄れ、重さは軽くなり、
世界には静けさが戻り
「問題」はただの出来事になる。
あなたが“夢のキャラクター”から
“夢を見ている主体”に戻ったからです。
その主体こそが、「それ」 なのだ。
「それ」は決して夢に巻き込まれない。
夢がどう変化しても、
夢がどれだけ混乱しても、
スクリーンの動きが激しくても、
あなたは一切傷つかない。
ーーーーーーーーーー
「それ」に戻れば戻るほど、世界は優しくなる。
同一化が弱まるほど、
あなたは自然とこう感じ始める。
「何も本当の意味で私を脅かしていない。」
「ただ出来事が起きて、消えていくだけ。」
「苦しんでいたのは“私”ではなく、
私だと思い込んでいた物語だった。」
この転換が起きると、
・感情は自由に流れ
・思考はクリアになり
・身体は軽やかに動き
・現実は抵抗なく展開していく。
あなたの心の状態が、世界の現れそのものだからだ。
(ここについては次回、詳細に説明します)
「明け渡し」とはあなたが本来の自分に戻ることです。
「在る」に戻り、介入しないことです。
そこが至福であり、天国であり、ゴールです。
神は”あなた”が不在の時だけ、宿る。
