【宇宙創造】世界は「在る」の内側にある

「この世界の始まりはどうなっているのか。」

古来より学問・哲学・科学は、この問いから逃れることができませんでした。


世界の始まりを知りたいという欲求は、

実は「私とは何か」を知りたいという願望と同じだからです。


現代科学が提示する最有力のモデルは ビッグバン宇宙論

宇宙は一点から誕生し、膨張し続けている。


しかし、最も肝心な問いは依然として残る。

では、そのビッグバンはどこから生まれたのか?


それこそが本当の「始まり」であるはずだ。

こうして人類は明くる日も明くる日も、その起源を外側に求め続けてきました。

だが、それは決して見つからない。

本当に探すべき場所は“外側”ではなかったからです。

「この世界はどこから生まれたのか」

この問いを外側に探している限り、永遠に答えは得られません。

なぜなら

世界はあなたの内側にあるからです。


ここでいう「内側」とは、

身体の内部でも、脳の中でもありません。


認識が立ち上がる前の“純粋な在ることそのもの”

そこを指しています。


深い睡眠に落ちると

世界、宇宙、時間、空間、身体、人生。


すべては完全に消失します。

しかし一つだけ、消えないものがある。


それは あなたの存在そのもの です。

眠っている間、あなたは「いない」のではない。

ただ世界を映していないだけなのです。

眠りの中で見る夢 —「世界の構造」の縮図

あなたが見る夢には、はっきりとした「宇宙」が存在する。

・景色

・他人

・家

・物語

・時間

・そして自分の“身体”

夢の中のあなたは、その身体と完全に同一化している。


身体が走れば「自分が走っている」と感じ、

危険が迫れば「自分が危険だ」と感じる。


しかし、その夢の世界はどこから生まれたのか?

あなたの心です。

記憶、印象、願望、恐れ、

思考、感情、潜在イメージ

これらが瞬間的に組み合わされて

夢という「世界」が丸ごと創造される。


夢の世界に

山も海も他人も時間も空間も

存在するように見える。

しかし、それらは全部

あなたの心が投影した映像にすぎない。

夢の宇宙には「外側」は存在しない。

現実世界も同じ仕組みで立ち上がる

夢の世界は心が作る。

目覚めている世界も同じ


夢の中で

「夢の宇宙の始まりはどこか?」

と探しても永遠に見つからない。


なぜなら夢の世界は

心の投影だから。


現実世界を

「外側に実在しているもの」

と信じるのは、夢の中の錯覚と同じです。


夢の始まりを夢の中で探すことはできない。

世界の始まりを世界の中で探すこともできない。

世界の誕生:眠りから覚醒する瞬間に起こること

ここを順に見ていきましょう。

【1】目覚める瞬間、「私」という微細な芽が誕生する

「私は、、、」という最初の振動。

(ここが宇宙論でいうビッグバンに相当する)

まだ身体も世界も立ち上がっていない。

ただ
「私は、、、」という中心感覚だけが生じる。

【2】次に「私は身体である」という誤認が起こる

最も近い対象である肉体感覚への同一化が起きる。

そして瞬時にこう思い込む:

「これが私だ」

身体=私

身体以外=外の世界

という二元が成立する。

【3】身体への同一化と同時に “世界” が生成される

「ここに私」

「そこに世界」

この構造が起こると、心は動き出す。

  • 空間
  • 時間
  • 他者
  • 記憶
  • 物語
  • 不安
  • 希望
  • 社会的役割

すべてが OS のように自動でロードされる。

【4】「昨日から続く世界」という“連続性”が作り出される

実際には昨日の世界などどこにも存在しない。

だが心は記憶を読み込み、

一貫した物語として世界を再構築する。

【5】最後に、心はこう確信する

「これが現実だ。」

  • 世界は本物
  • 身体は本物
  • 時間は本物
  • 他者は本物
  • 自分は小さな存在

この確信こそが、“世界”という夢をリアルに見せる。

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ここまで読むと、おそらく一つの疑問が湧くはず。

「最初の揺らぎはどうやって生まれたのか」


だがこの疑問は決して解き明かせない。

夢の中で、夢が起きた原因は探せない。


自我が目覚めた原因は自我の視点(心)で探しても決して見つからない。

原因を探している主体自身が、

すでに“揺らぎの産物”だからだ。


この原因を探している自我はあなた(本我)ではない。

この自我は観察されるもの、見られるものだから。


すべてを観照しているあなたにとって、

自我は生まれていない。

そもそも存在しない。

最初の揺らぎなど起きていないのだ。

「最初の揺らぎなど、決して起きていない」

あなたが問いを抱くのは自然なことだ。

「では、その最初の“私は、、、”という芽はどこから来たのか?」

だが見落としている点がある。


その問いを立てているのが “揺らぎの側(自我)” だということ。

夢の中の人物が、

「私はどうやって生まれたんだろう?」

と悩んでいるのと同じです。

夢の中の「私」は、

夢が生じた原因に触れることはできない。

なぜなら、
その人物そのものが夢の一部だから。

「揺らぎの原因」を探している者は誰か?

あなたがこう疑問を持つとき:

・どうして“私は”生まれたのか

・なぜ揺らぎは起きたのか

・なぜ真我は一度揺らいだのか

この問いを発している“私”とは誰だろう?

それは見られている存在です。一時的な存在です。

自我 だ。

そしてその自我は、

観察される側であって、あなた(真我)そのものではない。

観察されるものは本当のあなたではない。

そのため、自我の誕生を追うことはできない。

本当のあなた(観照者、真我)は揺らがず、

時間の中に存在しません。

だから、

自我がいつ生まれたのか

という問いが成立するのはすでに“自我の夢”の中だけなのです。

真我の視点では、揺らぎは決して起きていない

自我が生まれたと語るのは自我だけである。
真我の立場では、自我は決して生まれていない。

これは驚くほどシンプルな真理です。

・真我には “時間” がない

・真我には “変化” がない

・真我には “出来事” がない

だからそこには

「揺らぎ」も「始まり」も存在しない。

揺らぎが始まったように見えるのは、

揺らぎの中にいるときだけ。

夢の中で初めて「夢の始まりとは?」という疑問が生まれるように。

しかし目覚めれば、
夢は始まったことも、続いていたことも、起きていたこともない。

それとまったく同じです。

真我の立場から見た世界

「最初の揺らぎが“あった”と信じているのは揺らぎの側だけ。
真我には、揺らぎも、自我も、世界の誕生も存在しない。」

つまり、

・自我は生まれていない

・世界も生まれていない

・揺らぎも起きていない

ただ、
“生まれたように見えていただけ”
なのだ。

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では、もし最初の揺らぎが決して起きていないのなら、

今、揺らぎのように見えている「自我」と「世界」は何なのだろうか?


それらは、真我の光に照らされた“影”のようなもの。

それ自体として実在しているわけではない。

影を追いかける者は、影の原因を探し続ける。

しかし光そのものを見る者は、影が“そもそも存在しなかった”と理解する。


自我が自分の原因を探す限り、旅は終わらない。

だがあなたが「観照者」として自我を見るとき、

探していた原因ごと、自我という存在が消えていく。


そもそも探している者などいなかったのだ。


そのとき初めてわかる。

世界の始まりを探す旅は、

本当は“世界など生まれていない”という理解によって終わる。


その理解の静けさこそ、真我の自然な在り方。

世界はそこで静かにほどけていく。

(つづく)

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