感謝の魔法

今回は「感謝の魔法」というテーマでお話します。

前回の続きです。


このブログで度々言っている通り、

この世界には一つの法則しかありません。


それは

「焦点を合わせたものを体験する」

ということです。


あなたがこの世界に感謝すればするほど、

世界はあなたにまた感謝したくなるような出来事を体験させる。


あなたが不平・不満を言えば言うほど、

世界はあなたにまた不平不満を言いたくなるような現実を用意します。

「思い通りにしたい」は神への宣戦布告


「願望」は「夢」「要求」の2種類に分かれます。

「野球選手になりたい」

「作家になりたい」

「歌手になりたい」


こういう願いには、

本来「不足」はありません。


それは“今ここ”を否定して生まれているものではなく、

生命の内側から自然に湧き上がる喜びだからです。


それは「夢」です。


夢というのは、

持っているだけで人を幸福にします。

挑戦している時間すら楽しい。

叶う前から、

既にエネルギーに満ちている。


他方、

「お金持ちにならなければ幸せになれない」

「あの人と結ばれなければ幸せになれない」

「成功しなければ価値がない」


こういう願望には、

強い「不足」が含まれています。


今ここではダメだ。

今の自分では価値がない。

だから何かを手に入れなければならない。


その前提で動いている。


これは夢ではありません。

「要求」です。


それは不足を埋めようとする心です。


だから苦しい。

手に入るまで不安で、

手に入っても失うのが怖い。

そしてまた、

次の不足を探し始める。


では、なぜ要求するのでしょうか?

「今ここ」に不満があるからです。


では、

なぜ「今ここ」を不満に思うのでしょうか?


それは、

「今ここ」を“当たり前”だと思っているからです。


呼吸できること。

目が見えること。

ご飯を食べられること。

今日を生きていること。

誰かと話せること。


こういう奇跡のようなことを、

あまりにも自然に受け取りすぎているのです。

だから、

意識は「既にあるもの」ではなく、

「まだ無いもの」に向かっていく。


もっとお金が欲しい。

もっと認められたい。

もっと自由になりたい。

もっと愛されたい。


でも本当は、

“当たり前”だと思っていたものこそ、

奇跡の連続だったのです。


朝、目覚めること。

心臓が動いていること。

空気を吸えること。

太陽が昇ること。

誰かの優しさに触れられること。


それらを突然失ったときに

どれほど尊いものだったかに気づきます。


病気になった人は、

健康でいることがどれほどありがたいことだったのかを知る。


歯が痛くて眠れない人は、

何の痛みもなく食事ができることが、

どれほど幸せだったのかを知る。


大切な人を失った人は、

何気なく続いていた日常が、

本当はどれほど愛おしい時間だったのかに気づくのです。


つまり、

人は「失うこと」でしか、

与えられていたものに気づけないことが多いのです。


だから人は、

失ってから感謝する。

無くなってから価値に気づく。


しかし本当は、

失う前から、

人生はずっと奇跡の連続だった。


”当たり前”が奇跡の連続であり、

「何も起きていないこの瞬間が、実は神様からの最高のプレゼントだった」

と気づくとき、要求など湧いてこなくなります。


「焦点を合わせたものを体験する」

という大原則に照らし合わせると、


あなたが要求すればするほど、

世界はあなたにまた要求したくなる現実を用意します。



「思い通りにしたい」

というのは神への宣戦布告なのです。


「あれも足りない、これも足りない。

あなたのやっていることは気に入りません」

と神に歯向かっているのと同じです。

そもそも思い通りにならない

お釈迦様は、

人間の“思うようにならない苦しみ”を

「四苦八苦」

と定義しました。


生苦(しょうく)

─ 生まれる苦しみ、生きる苦しみ。

老苦(ろうく)

─ 老いていく苦しみ。

病苦(びょうく)

─ 病気や身体の不調の苦しみ。

死苦(しく)

─ 死ぬことへの恐怖や苦しみ。


さらに、

愛別離苦(あいべつりく)

─ 愛する人や物と別れる苦しみ。

怨憎会苦(おんぞうえく)

─ 怨み憎んでいる者に会う苦しみ。

求不得苦(ぐふとくく)

─ 欲しいものが手に入らない苦しみ。

五蘊盛苦(ごおんじょうく)

─ 身体や感情、思考が思うようにならない苦しみ。


人は、

手に入らないものを求め、

変えられないものを変えようとし、

永遠ではないものに執着することで苦しむ。


お釈迦様は何も、

「人生はこんなにも苦しい」

と悲観していたわけではありません。


ましてや、

「だから絶望しなさい」

と言っていたわけでもない。


むしろ逆です。


人間の苦しみを、

徹底的に客観視したのです。


なぜ人は苦しむのか。

なぜ不安になるのか。

なぜ執着してしまうのか。


それを感情論ではなく、

冷静に観察した。


すると見えてきたのが、

「思い通りにしようとする心」

こそが苦しみを生み出している、

という事実だったのだ。


老いは止められない。

病を完全には避けられない。

別れも訪れる。

死も避けられない。


つまり、

宇宙現象そのものは、

人間の思い通りにはならないのです。


にもかかわらず、

人はそれをコントロールしようとする。

変えようとする。

永遠に固定しようとする。


だから苦しくなる。


それは波に逆らって泳ぎ続けるようなものです。


反対に、これらの苦しみを

自然現象、宇宙法則と

受け入れてみたらどうだろう。


地球は太陽の周りを周回し、

必ず昼と夜が交互に訪れる。


春が来れば、

やがて夏が来る。

そして秋になり、

冬になる。


誰も、

「なぜ夜になるんだ」

とは怒りません。


「なぜ冬が来るんだ」

と宇宙を責めたりしない。


なぜなら、

それが自然現象だと知っているからです。

これと同様に捉えてみるのです。

つまり

自分の目の前に起きることはすべて自然現象だから

しょうがない、と。


そもそも思い通りにならないものだから

イライラしてもしょうがない、と。

「足るを知る」という境地


「どうして思い通りにならないんだ」

とイライラしているうちは


「焦点を合わせたものを体験する」

という大原則をうまく扱えません。


ところが

「そもそもこの世は思い通りにならないもの」

と受け入れると、イライラしなくなります。


その結果、

今度は人生が全く違う流れになります。


驚くほど人生がスムーズに進みます。


ここでは想像したり、

イメージしたことがドンドン現実化していきます。


これは長年の願望が成就するとか、

思い通りになる、

神様が何でも願いを聞き入れてくれるということではありません。


あなたが「願望」として認識する以前に

それらはやってきます。


向こうが一方的に楽しませてくれるのです。


例えば、

天気予報が雨でも

自分が外出するとき、旅行に行くときは必ず晴れている

とか、


「あの人、何しているんだろう?」

と久しぶりに思い出すと、

1時間後にその人から連絡が来る。


あとは、

これは僕が物販で起業したての頃の話だが、

ある日、

仕入れのし過ぎで

キャッシュフローが回らなくなったときに

急に父親から30万円振り込まれたのだ。


頼んだわけでもなく、

僕自身キャッシュフローが

危ういことにすら気付いていなかった。


この30万円がなければ、

キャッシュアウトしていたのかもしれない。


こうした状態に入ると、

生きることが

ものすごく楽になります。


あまりに色々起きるので不気味ではありますが、

ただ座っているだけで楽しくなります。


一人の力で人生を歩んでいるのではなく、

表現できない「なにか」が味方にいることを感じるのです。


自分が現実に合わせて

クリエイトしている感覚ではなく、

すべての歯車が完璧に噛み合わさって、

人生そのものがこちらに合わせて流れてきているようです。


それはまるで魔法の世界を生きているようです。

魔法の世界


「焦点を合わせたものを体験する」


これは自分が

「この現実が欲しい!だからそこを向く」

というわけではありません。


そうではないのです。


感謝をすればするほど、

自分では想像できないが、

また感謝したくなる現象が起きるのです。


そのためには

「要求」するのではなく、

すでに与えられているものに目を向けることです。


お弁当の味付けがイマイチなことに不満を言うのではなく、

いつもお弁当を作ってくれること自体

有難い

と感謝するのです。

事実、「当たり前」ではないのだから。


あなたが逆の立場になり、文句を言われたのなら

すごく嫌な気分になるはずです。


「そもそもあなたのためを思ってのことなのに!」

と。


相手は

あなたのために朝早くに起き、

時間を使い、手間をかけているのだから。


目が見えることは当たり前ではありません。

耳が聞こえることは当たり前ではありません。

家族が健康でいることは当たり前ではありません。

雨風しのげる家に住めることは当たり前ではありません。

きれいな水を飲めることは当たり前ではありません。

トイレを使えることは当たり前ではありません。


すべて神があなたに与えた祝福なのです。

プレゼントです。


「自分の思い通りの現象が100点満点になっていないじゃないか」

と不満を言うのではなく

「50点の現象が起きたら、その50点に手を合わせて感謝」

をするのです。


感謝とは、

「良い人」になるためにするものではありません。

あなたが最も得をするから、

感謝するのです。





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