はじめまして。チャーリーです。
この記事は、
アフィリエイトや動画編集で1年間稼げなかった僕が物販に出会い、仕組み化で半年で月収100万稼げるようになった物語です。
ここでは自己紹介も兼ねて
どこにでもいるただの大学生だった僕が
なぜ大学を中退して、起業したのか?
というお話をしてきたいと思います。
5分ちょっとで読めるので
・アフィリや動画編集で「これいつになったら稼げるん?」と不安を感じている人。
・副業やビジネスに挑戦してみたい人。
・今の生活に漠然と違和感があり、心のどこかで
「俺の人生こんなもんでいいのか!?」
ともがいている人。
・「このままサラリーマンになって、社畜か、、
大人ってこんなもんなのかな」
と疑問を持っている学生。
などなど
アフィリ、動画編集挫折組やこれから人生を変えたい人、
他の生き方を探している人
向けの記事となっております。
では、物語に入る前に僕がどういう人間なのか
箇条書きで書きたいと思います。
・物販を仕組み化し、自動で利益を出すプロ。
・月100万以上の利益。
・知識経験ゼロの素人を稼がせるプロ。
僕から学んで、たった2ヶ月で月商30万超え多数。(主婦、サラリーマンなど)
・200人越えビジネスコミュニティの物販講師。
・コンテンツビジネスで年間500万以上の利益。
・仕事は基本的に愛用のmac一台で、旅先や自宅で完結。
・収益を仕組み化しているので、寝てても何してても勝手に利益が出る。
・たまたま知り合った凄腕経営者の先輩に300万払ってビジネスの世界を冒険中。
僕はこんな感じです。
で、今でこそ全然違う人間になったが、
昔は本当にしょぼかったし、
臆病でコミュ障でコンプレックスまみれで
他人を僻んでばかりいたガリ勉でした。
↓
・中学まで一人も友達がいないコミュ障インキャ。
・超教育熱心な両親に勉強ばかりさせられ、人生つまらなかった。
・とにかく臆病で自分の意見が全く言えない。
・中学、高校、大学全ての受験で失敗。
・運動音痴で常に周りに迷惑をかけないよう、
ビクビクしながら学校生活を送っていた。
・部活や恋愛を楽しむ同級生を見て、ひたすら僻む。
・生きることに辛くなり、中学卒業時に
学生生活が終わったら、自殺することを決意。
という感じで、
コンプレックスやら、劣等感まみれで
悔しい思いをしながら生活していた時期もありましたが、
おかげさまで今は最初に書いたような
最高に充実していて、エキサイティングな人生を送っています。
では、なぜ北海道大学を中退して、高学歴の肩書を捨ててまで、
ビジネスの道に進んだのか?
どのように人生を変えてきたのか?
これらを説明するには
僕の過去の物語を振り返る必要があります。
貧乏、勉強漬け、コンプレックスの塊だった幼少期
結論から言うと、
僕が就職せずに自分で稼ごうと思ったのは
青春時代が超絶窮屈だったから。
僕の家庭は学業に厳しく、
1に勉強、2に勉強、3に勉強
っていう感じだった。
医者になるか、大企業に就職しないと
人生おしまいだと言われていた。
友達とは遊べず、
学校から帰ったらすぐに塾に行かなければいけません。
授業がなくても自習しに行かなければなりません。
こんな生活を小学生の時から送っていたので、
幼いながらも
「なんのために生きているんだろう」
と自問自答する毎日だった。
「うーーん、人助けはいいことだと思うけど、別に医者になりたいとは思わないしな、、
病院の匂い超苦手だし、どんよりした場所で数十年、耳が遠いおじいちゃんおばあちゃんの診察するのちょっと嫌だな、、
かといって大企業に就職って今の親父みたいになるってことだもんな、、
平日は毎日上司にヘコヘコ。朝早くから出社してクタクタになって帰る。出世して偉くなっても休日に電話に追われ、取引先とゴルフ。」
どっちもやりたくねえええええええ。
と内心思いつつ、親に言えなかった。
というより、僕の中では
医者、大企業以外=地獄
の方程式が脳に刷り込まれていて
他に選択肢がなかったので、
言おうとも思わなかった。
「大人になったら、自分のやりたくないことをやって、
誰かのために働き続けなければいけないのか、、、」
と思うと、
いっそ大人にならなくてもいいやと思った。
だって、毎日9時間もやりたくないことをやって、
それを40年、50年続けるなんて拷問でしかない。
こんな感じで、
中学の卒業式の時に
満開の桜の元、
希望に満ちた未来への門出を祝う同級生、先生、保護者の中、
僕は一人
20歳での自殺を決意した。
我が家がなぜ学業に厳しいのか
我が家がなぜ、こんなに学業に厳しいのかと言うと、
両親がとても貧しい家庭で育ったからだ。
狭い団地で育ち、
日々の食事にも困っていたほど。
そんな中、僕の父親は27歳の時に
旧帝大の一つ東北大学に入った。
今思うと、良い大学を出て、
大企業に入っても
それほど豊かになれないことを
わかっていたからこそ、
僕や兄の幸せのために
厳しく教育してきたのだと思う。
なので、
父親は大企業勤めといえど、
僕と兄の教育費で家計はかなりきつかった。
そんな状況で母親はというと、
少しでも貯金をするべく、
時給1300円で介護施設でご飯を作るパートを
ずっとしていた。
こういう家庭の実情があったので、
たまに家族で外食しに行っても、
下から2番目のものを頼んでいた。
一番安いものはプライドを傷つけそうで怖いし、
かといって、高いものは財布を傷つけそうで怖かった。
買い物をする時も気まずい。
この服買ったら、母さんの5時間分の労働が、、
て考えざるを得なくなる。
ちなみに僕は高校生まで兄のお下がりか、
ユニクロしか着たことがなく、
ここでも下から2番目を意識していた。
そんなこんなで
何をするにしてもお金がかかり、
その度に罪悪感が湧き起こってくるので、
家族といたくなくなった。
僕の実家が千葉で、
大学で北海道に来ているのも
家族から離れるためだった。
友達ゼロの幼少期
僕の家庭は学業が最優先だったので、
友達とも全然遊べません。
小学生の時はちょうど
DSがブームだったが、
当然買ってもらえず、
学校ではポケモンの話で
盛り上がっていた中、
僕は全く話に入れず、孤立していた。
放課後、遊びに誘われることもあったが、
ずっとキモイぐらいに
ゲームしているのを傍観したり、借りていたので、
次第に誘われなくなった。
これにさらにやりたくもない習い事が入って、
ついには遊ぶことすらなくなった。
次第に同級生と距離ができ
気づいたら、
中学卒業まで完全に孤立。
もうすっかりキモイガリ勉に変身していた。
部活に励んでいたり、
恋愛したり
楽しそうにしている同級生を見て、
「俺は将来のことちゃんと考えて、勉強頑張ってえらい!!」
と謎の自己肯定をしていた。
本当はみんなが羨ましかったのに、ひねくれ始める。
このまま順調にガリ勉街道を走るのかと思いきや、
そういうわけでもない。
中学受験、高校受験と立て続けに失敗した。
心のどこかに、
「俺なんのために勉強してんだろう?」
と思っていたので、
勉強に全然身が入らなかった。
でもここまでお金をかけてくれた親には
相談できないし、
友達も一人もいなかったので、
ひたすら一人で抱え込んだ。
これも学生生活が終わったら、自殺しようと決意した要因である。
アメリカに行き、あまりの開放感に涙腺崩壊
両親もこんな感じで
ずっと沈んでいた自分を見ていたせいか、
高校一年生の夏休みに
アメリカ旅行をプレゼントしてくれた。
僕は心機一転、親戚が住むロサンゼルスに向かう。
飛行機を降り立った瞬間、
僕の中の何かが壊れた。
なんともいえない経験したことのない独特な雰囲気、
映画の世界でしか見たことがない風景、
いろんな人種が行き交う街並み。
僕の価値観が完全にぶっ壊れた。
いつも僕を束縛する両親がいないせいか、
「こんな場所で二週間も自由にしていいのか!!」
と思うと
ワクワクが止まらなくなった。
いつぶりだろう。
小学生の頃に公園の茂みで秘密基地つくってた時以来だと思う。
僕の5感に稲妻が駆け巡り
「生きる」実感を感じた。
さらに衝撃を受けたのが、
UCLAという大学に行った時だった。
この大学は世界大学ランキングで
東大よりも格上だ。
なんと、その大学の学生が集まって
チャンバラごっこをしていたのだ。
いくつになっても周りの目を気にせずに
自分のやりたいことをやって、楽しんでる姿に
「僕とは正反対じゃないか、、」
と泣きそうになった。
そして、羨ましかった。
同時に僕に欠けていたものがやっとわかった。
自分の意思を持つことだ。
こんなに頭が良い奴らでもバカやってるんだったら、
俺もやっていいんじゃね?と思い始めると、
繋がれた鎖が解けたように身軽になり、
魂が生き返ったように感じた。
日本にいたら絶対に気づけなかったけど、
世界に出たら、自分の知らない価値観で生きてる人に出会うことができる。
そう思うと、
自分の悩みなんて本当にちっぽけなもので、
井の中の蛙だったことを体感した。
同時に、無性に世界を冒険してみたい気持ちが芽生えた。
高校3年、受験期突入。
漠然と海外に行きたいなとは思っていたが、
親には言えなかった。
ここまで一生懸命働いて
教育費を稼いでくれた両親の姿を見ると、
どうしても言えない。
結局両親の望み通り
医学部を受験した。
結果落ちた。
すぐに浪人が決まったが、
医学部受験では浪人は当たり前だったので、
両親も覚悟していた。
僕の浪人生活が始まったが
やはり勉強に全く身が入らない。
いや、やってるようでやってないと言う表現の方が正しい。
事実、僕の駿台の教科書は予習復習でボロボロになってた。
それでも成績は上がらなかった。
原因は明らかで
医者になりたくない、
という思いだった。
両親には泣きながら、
「北海道大学では総合理系といって、1年生の成績が良ければ
医学部にも行ける!だから行かせてくれ」
と言った。
内心では
「これから先は自分でじっくり人生を決めていきたい」
という覚悟だけ決めて
両親から一番離れた北海道に行きたかった。
ビジネスに出会い、挫折しまくりからの成功に心震える。
大学でいよいよ将来を考え始めたが、
どうしてもやりたい仕事が見つからない。
サークルの先輩にいろんな学部の話を聞いても
何一つ興味が湧かない。
ただ、今まで培われたガリ勉力が発揮され、
周りが大学生活を謳歌している中、
僕はやたら成績が良かった。
いよいよ学部を決める時が来たが、
仲が良かった友人が工学部志望が多かったこともあり、
工学部に入った。
両親には相談していない。
僕の最後で最大の悪あがきだ。
とは言っても、
やりたいことがなくて選んだ学部なので、
これまたやる気が起きない。
ひたすら授業を受けて、課題をこなす日々。
これでは、昔となんも変わらない。
自分にひたすら嫌気をさしながら淡々と日々を送っていた。
そんな中、
ふと今まで生きてきた中で一番ワクワクして
またやりたいと思ったことはなんだろう
って考えてみた。
真っ先に「旅」が思い浮かんできた。
アメリカでの衝撃が忘れられなかった。
「将来は旅をしながら、心から楽しめる仲間と出会い、生活できたら最高なのにな」
と思った。
同時に、サラリーマンをしていたら一生無理なことがわかった。
僕の親父はかなりホワイトな会社に勤めていたが、
それでも土日祝日以外で
まとまった休みを作るのは不可能に近かった。
そこでサラリーマン以外で稼ぐ方法はないのか探ってみることにした。
ネット、Youtube、Twitterで検索しまくった。
どうも怪しい。。みんながみんな詐欺師に見えてくる。
そんな中、
Twitterを眺めていたら
アフィリエイトで月200万稼いでいる人を見つけた。
見たところ、その人から教わっている方もたくさんいて、
稼いでいるようだ。
とりあえず信じてみることにした。
その人のブログを詳しく見てみると、
パソコン一台あればどこでも仕事ができるとのことだった。
「よっしゃ!!これだ!
これをやれば旅しながら仕事ができる!!神きたー!」
と思わず大興奮。
そのまま見よう見真似でブログを開設した。
オススメされたASPに片っ端から登録した。
国語の偏差値が50切っていたほど
文章力がカスだったので、
ブログの記事テンプレートやらなんやら、
バイト代全部ぶっ込んで、買い漁った。
結果、全く収益化できなかった。
敗因は明らかだった。
教材を買いすぎた上に、完璧主義だったので
1記事目で挫折した。
5時間かけて1記事も書き終わらなかったので
すっかりお先真っ暗になっていた。
自分に全く向いていないことがすぐにわかった。
「ああああああ。結局社畜しかないのかああああ。
これだったら医者の方がまだマシじゃね?どうする??ん?さいじゅ、再受験??
いや、こんなの許されないよな、、やっぱ親の言うことは素直に聞くべきだったのか、、
うぅううう、、」
希望の光はあっという間に消え、元の退屈な日常に戻った。
学校に行くのも憂鬱になったが、
これと言ってやることもなかったので、
授業を受けに行くしかなかった。
これまたガリ勉の本能かわからないが、
どうも何かしていないと罪悪感を感じてしまう。
半年ほど経った大学2年の冬、
2回目のチャンスが訪れた。
大学の友人にYouTubeの編集をしてほしいと
頼まれたのだ。
利益は折半で良いとのこと。
「お、動画編集だったらこれもパソコン一台でできるし、
ブログアフィリみたいに文章力いらないから俺でもできる!!」
とまたまた大興奮。
またまた貯めてたバイト代を全部ぶっ込んで、動画編集の教材を購入。
今回は一つに絞った。
さあ
「必ずYoutubeドリームを掴むぞ!」
と意気込み、
黙々と編集ソフトの使い方を覚えていった。
友人からも素材動画が送られ、
編集してアップロード。
しょぼい編集にも関わらず、
1か月ほどで5個ぐらい動画を配信した時点で
チャンネル登録者は100人を超えた。
1日の登録者が30人の日もあり、
「このままうまくいけば、2か月足らずで登録者が1000人を超え、
収益化できる!!」
と大喜びしていた。
そんな矢先、
いつまでも好調は続かなかった。
チャンネル登録者300人あたりから伸びなくなった。
僕の編集技術がショボイせいか、
素材動画がショボイせいかわからなかったが、
急に登録されなくなったのだ。
すっかりテンションも下がったが、
そううまく行くものではないことは覚悟の上だった。
ところが、友人は違った。
すっかりやる気が失せてしまったのだ。
何度連絡しても
「今バイトで忙しいからあとでね」
の一点張り。
まあ無理も無い。
お互い貧乏大学生だったから、
撮影で時間とお金が消えていくのが耐えられなかった。
こんな感じで、僕のYoutubeドリームは
いつの間にか消えていった。
https://www.youtube.com/@user-me9ek2tw3l
↑こちらが友達と運営してたチャンネルです。
もちろん失望したが、ブログアフィリを挫折した時ほどではなかった。
友人が続けていたら、成功していたかもしれないからだ。
「ビジネスは共同で始めるものでは無い」
とわかった。
友人の動画編集は諦めたものの、
学んだ動画編集のスキルを使って動画編集案件をとって稼ぐという道もあった。
が、、、営業して案件を取りに行く気にはなれなかった。
ビビリのコミュ障だったからだ。
「営業ってなんか難しそうだし、
仮に案件取れたとして
クライアントワークで迷惑かけないか不安だな、、
底辺編集マンは時給1000円以下だし、、」
そう思うと、どうもやる気になれない。
またまた退屈で憂鬱な大学生活に戻ったが
大学3年生になり、授業も忙しくなった。
研究室配属も決まり、
データサイエンスの研究をすることになった。バイトをしながら、
膨大な課題とテストに追われる日々をこなした。
とうとう大学3年の冬、今年の1月になり、
大学院に行くか、就職するかを
考えなければいけない時期になってきた。
僕はどっちも行きたくない。
最後の悪あがきだと思って
Twitterでネットビジネスで漁っていたところ、
「中国輸入」に出会った。
ひたすらやりたくないことをやり、
鬱になりかけ、完全に追い詰められた僕は、
「今までの自分は覚悟が足りなかったから、
継続できず、挫折していた。」
という反省点を踏まえ、
意を決して大学を辞めることにした。
今思えばクレイジーな決断だった。
でも今になって考えると、それが功を奏した。
今でもどうしてこんな決断ができたのかわからない。
追い詰められすぎていたからかもしれない。
自殺に比べたら退学なんてしょぼいものだと無意識に思っていたのかもしれない。
これまでの友人の連絡先(ちょっとしかない)も全部削除し、
文字通り、決死の覚悟で中国輸入に取り組んだ。
師匠に言われた通り
商品をリサーチして
仕入れても良さそうな商品を報告しまくった。
するとほぼほぼ全部仕入れて良いとのことだったので、
半信半疑ながら仕入れてみる。
その日は初めてにも関わらず、5万円分仕入れたと思う。
僕は恐怖しながらクレジットカードでどんどん決済した。
怖くてしかたなかった。。
こんなガラクタ買うやついるのかよ、、
自分でリサーチして、売れると確認したくせに
なぜか疑ってしまっていた。
どうも売れる気がしない。
「リサーチした時だけ、たまたま売れてたんじゃね?
あの人が売れてただけで、自分が売れる保証なんてどこにもないじゃないか!
てか中国からの荷物って怖え。。変なモノ入れられたりしないかな、
ちゃんと家まで届くんかいな、、」
悪い方にばかり想像が膨らみ、
マジで恐ろしかった。
貯金が7万しかなかったので
そのうち5万円分のゴミを抱えたらと想像するだけで
「うぎゃあああああああ」
と泣きたくなった。
中国からは約三週間ほどで届くのだが、
豆腐メンタルの僕には3か月ほどに感じた。
「早く届いてくれ、、耐えられんよ、、」
暇さえあれば国際配送のトラッキングを見て、
荷物の安全を確認した。
3日ほど止まっていたら、すぐに配送会社に連絡した。
それほど僕はびびりまくってた。
難なく、荷物が到着し、
出品を始めると
すぐに売れた。
へ・・・・??
衝撃だった。
こんな簡単に売れるの・・・?
それに続くかの如く、
あれや、これやと売れまくった。
初日で5個ほど商品が売れ、1300円ぐらいの利益が出た。
この時初めて自分で利益を出した感覚は今でも忘れられない。
これはどんな起業家に聞いてもそうらしい。
「最初の利益は別だ」と。
ブログアフィリや動画編集で
一円も稼げなかったのに、
こんなに簡単に稼げるなんて、、、
神きたーーーー!!!
そのままひたすら商品を売り捌いた結果、
初月から6万円ほど利益が出た。
6万???
バイト代じゃん
家にいてパソコンをぽちぽちしてるだけで、こんなに稼げるの・・・?
テンション上がりまくりのまま
師匠に言われるがままにひたすら
作業を続けた。
なんせ、利益が出ることはわかった。
あとは繰り返して、積み上げるだけだ。
すっかり味を占めていた。
潜んでいたガリ勉の血も騒ぎ出す。
何かに取り憑かれたかのように
四六時中ポチポチしていた。
「これを10回繰り返せば、月収60万
親にギャフンと言わせられるぜ。へへ」
ニヤニヤが止まらなかった。
作業を続け、気づいたら
2か月目で月商43万、利益17万
3ヶ月で月商80万、利益32万
まで達成し、
半年後には月商120万、利益50万まで積み上がった。
いくらお金を稼げても、自分で働いていたら
旅行に行く時間がない。
そこで、さらに
師匠から教わった通りに
自動化、組織化まで完成させた。
こうして僕は
自分がいなくても勝手にお金を生み出す仕組みを手に入れた。
つい半年前までは
「会社に入らずに、自分で稼ぐのって茨の道だよな、、
俺才能ないし、コミュ障だし、ビビリだし、、
2年はバイト生活覚悟しとこ。。
というか一生バイトかもしれねえ、、,」
と思っていたが、
稼いでみるとあっという間だった。
才能も何もいらなかった。
必要なのは
自分で稼いでいく覚悟と
ビジネスに飛び込む勇気だけだった。
夢だった「パソコン一台でどこでも仕事ができるライフを手にいれる。
こうしてパソコン一台で
どこでも仕事ができるライフを手に入れた。
僕の仕事といえば、
日々の売り上げを管理するのと
外注スタッフに指示を出すぐらい。
1日30分もかからない。
子供の頃から貧乏癖が染み付いているせいで
特に買いたいものもなく、
貯金はみるみる貯まっていく。
貯めたお金で
毎月、どこかしらに旅行に行ったり、
最高級スイートルームに泊まってみたり、
ネット上でできた友達に会いに行ったり、
クラブで豪遊したり、
尊敬する経営者の先輩に出会い、キャバクラに連れて行ってもらったり、
これまでの根暗、嫉妬まみれのガリ勉からは
想像できないような経験ができるようになった。
様々な経験をするうちにあることに気づいた。
僕は旅が好きなのではなく、「冒険」が好きだ。
自分の知らない世界を知ることが
この上なく楽しくて、幸せ。
昔、ポケモンをやっていたあの感覚と同じ。
いつまでも同じ街にいたら
そりゃ、つまらない。
出てくるポケモンは同じだし、
対戦相手のレベルも変わらない。
毎日同じ風景、同じ日常。同じ人間関係。
勇気を出して一歩外に出ると
常識だと思っていたことが
実は思い込みでしかなかったことが度々起こる。
これがたまらなく面白い。
覚悟を決めた者の特権だ。
このブログで発信している理由
僕がこのブログで発信している理由の一つは
「退屈な日常から抜け出したいが、何から始めたらいいのかわからなかった
昔の僕を救いたい」
という思いから。
僕は運良く、ネットビジネスに出会い、
自分の人生を変えられた。
逆にいえばこの出会いがなければ
今頃自殺していたかもしれない。
知識があれば誰だって、人生を変えられる。
それは超絶ビビリでコミュ障な僕が身をもって証明した。
他人を僻んだり、妬んだりしている時間があるのなら、
とっとと勉強し、知識を身につけ、稼いでやりたいことをやろう。
「将来の夢が『冒険』なんてそんなことしていいのか!
もっと将来のことを考えろ!」
という昔の僕みたいな人もいるかもしれない。
でも人生なんて、やりたいことやったもん勝ちだと思う。
心からワクワクすることをやるのが幸せだし、
たとえ側から見たら
「バカやってんな」
と思われてもそれでいいじゃないか。
とりあえずやりたいことをやりまくって、
その先に見えるものをやればいい。
自分のやりたいことを実現するには、
それなりの実力が必要だと思う。
ただわがままなだけなのは子供だと思うけど、
わがままを通す実力が大事になる。
昔の僕はYoutuberの真似事みたいなことをやって、
ただやりたいことだけをやって生きていこうとしたが、
それを実現させるだけの知識も実力も足りなかった。
そこから勉強して、実践して自分の実現したいライフスタイルを体現した。
やりたいことがあるのはとても良いことだ。
多くの人が持ってるわけではない。
あとはそれを実現するために勉強して努力するだけ。
誰だってできる。ただの知識ゲーだから。
僕にとっては人生自体が「冒険」なのかもしれない。
「自分の知らない世界を知っていく」
これがたまらなくワクワクするし、楽しすぎる。
「人生」という壮大なゲームをプレイしている感じ。
最高の仲間と出会うためにも発信を続けなければならない。
最後に
ここまで見てくださった方の中に
一人でも勇気を与えられたら
めちゃくちゃ嬉しい。
自分も変わりたい!
と思っているけど、
何から始めたらいいのか
わからない方は
僕のLINEやブログを見てください。
全くゼロの人でもビジネスができるように教えている。
実際知識経験ゼロの素人だったのに、僕から学んで2ヶ月で月収30万円超えた方もいる。
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長い文章、ここまで読んでいただき感謝です。
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