こんにちは。KEIKOです。
LINEを登録していただきありがとうございます。
「MONEY道」では7日間にわたり、
皆さんと共に「お金に関する観念」の書き換えを行っていきます。
目的はズバリ、皆さんに「お金持ち」になっていただくことです。
胡散臭いですか?
それでも構いません。私もそう思います。
ですが今回のメールを最後までお読みいただければ
「もしかしたら、本当にお金持ちになれるかも?」
ぐらいにはなると思います。
読むだけタダです(笑)
ぜひ最後までお付き合いください。
本格的に講義に入る前に今回は「ガイダンス」として、
私が豊かさに出会った経緯をお話させていただければと思います。
これは私がこの講座を作った動機となる出来事であり、
「自分にこんな凄いことが起きたから、みんなにも聞いてほしい!」
という私の熱い思いです。
昨今の巷の「引き寄せ」の書籍で語られる数々の方法論とは違う
私ならではの体験です。
というのも私が“豊かさ”に本当に出会ったのは、
知識を積み重ねた先ではなく、
ある日ふと、深い疑問と向き合ったときだったのです。
それでは始めます。
ーーーーーーーーー
私は幼い頃から周りとは違う、風変わりな子どもでした。
物事に対して、いつも一歩下がって捉えていて、
それはまるで、「人間という存在」や、「この世界そのもの」の振る舞いをどこか他人事のように観察しているような感覚でした。
周囲に溶け込もうと努力していたし、実際、周りからはそう見えていたと思います。
けれど心の奥では、ずっと静かな孤独が横たわっていました。
そんな私の頭の中では、いつもこんな疑問が巡ってたのです。
「なぜ人は、これほどまでに“幸せ”を追い求めるのだろう?」
ーーーーーーーーー
誰もが「幸せになりたい」と願い、
日々その実現に向けて奔走しています。
それはこういった具合にです。
評判の良い進学校に通い、模試の偏差値に一喜一憂しながら、深夜まで参考書とにらめっこをする。
ようやく希望の大学に入っても、すぐにインターンや資格取得の準備に追われ、「将来のために」とスケジュール帳をびっしり埋めていく。
そして、名の知れた企業への内定を目指し、自己分析やES(エントリーシート)に悩み、面接の言葉遣いや姿勢ひとつにも“正解”を求めて磨いていく。
だが、希望の会社に入っても、それで終わりではない。
入社すれば今度は、同期との競争、上司の評価、異動の不安、将来のキャリア設計が待っている。
ミスをすれば「評価が下がるのでは」と怯え、実績を出せば「次はもっと」と求められる。
誰かに認められるために、常に気を張り、疲れていても「大丈夫です」と笑顔を保ち続ける。
恋愛においても、SNSで見かけた理想像に自分を寄せていく。
話し方、服装、趣味、体型、立ち居振る舞い。
「選ばれるためにはどうすればいいか」を無意識に考えながら、“自分らしさ”と“好かれる自分”のあいだで揺れ動く。
健康を維持するためには、栄養バランスの計算された食事を意識し、オーガニックかどうかに敏感になり、コンビニでの選択一つにも罪悪感を覚える。
少し喉が痛い、頭が重い、そんな違和感があれば、スマートフォンで症状を検索し、不安を鎮めるように病院を受診する。
けれど、私はこうした一連の努力に、どこか根源的な違和感を抱いていました。
それは、こうした問いが私の中に生まれたからです。
「幸せとは、本当に“獲得”しなければならないものなのだろうか?」
ーーーーーーーーーー
もし、幸せが外側から取りに行くべきものだとするならば、私たちは一体、何のために生まれてきたのでしょう。
“幸せではない存在”として生まれ、何かを得てようやく“幸せな存在”へと変わるためでしょうか。
だとすれば、私たちの本質は「不完全」や「欠乏」であり、幸せはそれに後づけされた装飾のようなものに過ぎません。
赤ん坊のころ、私たちは何の努力もせず、ただ周囲に愛され、守られ、あらゆるニーズが自然と満たされていました。
けれど成長するにつれ、こう言われるようになります。
「もう子どもじゃない。自分のことは自分でしなさい。」
「立派な大人になりなさい。自立しなければならない。」
雨風をしのぐ家で眠り、食べて生きるためには、今や自ら働き、競争に勝ち、努力を重ねることが求められる。
かつて“当たり前”だった安心と充足は、努力の対価として初めて手に入るものになったのです。
しかも、その安心と充足は一度得たら終わりではありません。
維持していかなければならないのです。
立ち止まれば、失われていく。
ボーっとしていれば、他者に追い越され、取り残されてしまう。
それはまるで、人参をぶら下げた馬のようです。
乾いた砂に水を注ぐようなものです。
一度手に入れたはずなのに、指の間からこぼれ落ちるように、霧のように静かに消えていく。
「満足感」「安心感」「達成感」
たしかにこの手にあったはずなのに、次第に輪郭を失い、また次の「人参」を求めてしまう。
まだ見ぬ未来に、まだ足りぬ何かに、幸福の幻を重ねて走り続ける。
まるで、終わりのない追いかけっこのように。
こんな世界で生きていく意味があるのでしょうか?
我々の本質が「不完全」である以上、何をどう足しても不完全なのです。
私はある種のニヒリズムに陥っていました。
何をしても無意味のように感じていました。
努力しても、結果が出ても、それが何だというのだろう。
そんな思考が、いつも頭のどこかにまとわりついていたのです。
生きていくことに理由があるのだとしたら、私はその理由をどこにも見出せませんでした。
気がつけば
「なぜ私は、こんな世界に生まれてきたのだろう」
という問いが、日常の隙間に入り込み、私の思考を支配していました。
それはいっそ、この世界から消えてしまったほうが楽で、幸せなのではないかと真剣に考えるまでに私を追い詰めていました。
ーーーーーーーーーーー
さて、そんなネガティブ極まりない幼少期を過ごしてきましたが、ある日転機が訪れます。
急に「私は不完全だ」という大前提に違和感を覚えたのです。
思考というのは不思議なもので、どれほど行き詰まったように見えても、あるときふと、
「問いの立て方そのものが間違っているのではないか」
と感じる瞬間が訪れるのです。
「問いの立て方自体が違っていたのかもしれない」
そう思い至ったとき、私の中で何かがわずかに、しかし確かに軋んだ音を立てて動き始めました。
これまで
「どうすれば幸せになれるか」
「どうすればこの不完全な自分を修正できるか」
という問いを、当然のように前提としてきました。
でもそれはつまり、
「私は幸せではない」「私は不完全である」という出発点から、すべてを組み立てていたということに他なりません。
もし、出発点そのものを反転させてみたらどうだろう。
「私たちは本来、すでに完全である」としたら。
それは
「私達は完全であるがゆえに、不完全な視点で世界を見ると世界も不完全に振る舞うのではないか」
という自らの不完全性をも完全の一部として捉えてみる試みでした。
この転換は当初は人生を劇的に変えるような閃光ではありませんでした。
むしろ、日常のなかでそっと芽吹いた、見過ごされそうなほど小さな違和感にすぎません。
けれどその小さな芽は、やがて私の世界の見え方そのものを静かに、そして根本的に変えていくことになったのです。
「私は本当は完全である」
これはとどのつまり、
「私は生まれつき幸せであり、そこに何も付け足す必要はない」
ということです。
言い方を変えましょう。
「私は完全であり、幸せとは自分そのものにほかならない。
それは自分が存在している以上、幸せを感じる要素は自分が獲得しにいかなくても、向こうからやってくる」
ということです。
それは、あくせく働かなくても必要なお金は必要なときにきちんと自分の銀行口座に入っているということです。
自分に好きな人ができたら、相手も自分のことが好きになっているということです。
例え農薬まみれ、添加物まみれのご飯やお菓子を食べても、それらは一切自分の健康には関係ないということです。
願望は自分から叶えようとしなくても、勝手に叶っていくということです。
どうでしょうか?
とても現実的な話には聞こえませんか?(笑)
大丈夫です。私も最初は信じられませんでした。
だが、かすかに心の奥で
「もしかしたら、本当はすべて完全なのかもしれない。」
という疑いを持ち続けていました。
ーーーーーーーーーーー
この疑いを持ち始めたのは、私が大学3年生のときでした。
ちょうど進路に悩んでいた時期でもあり、
周囲が次々とインターンに応募し、内定への階段を登っていくなか、私はどうしても「就職する」という選択肢に気持ちが向きませんでした。
安定を手に入れるために、自分の時間や自由やエネルギーを“会社”という箱に差し出す生き方に、どこかで深く違和感を覚えていたのです。
かといって、起業したいとか、特別なスキルがあるわけでもない。
バイトで細々と生きる未来を思い描くと、それもまた現実味がなく、どこか空しい。
まさに、進むべき道がどこにも見当たらない感覚でした。
八方塞がりです。
そんななかでふと、
「もしかしたら、すべては最初から完全なのかもしれない」
という小さな気づきが心に芽を出しました。
ごくかすかな疑いでしたが、そのときの私には、それが唯一の希望に思えたのです。
やがてそれは
「この世界は完全だ。もし不完全ならば自分はこのまま世界から消えよう」
という覚悟に変わっていきました。
これは無謀な挑戦に見えるかもしれません。
ですが当時の私にとっては、挑戦というより
「そうでなければ、この世界は狂っている」
という切実な問いへの答えでもありました。
人はよく「人生には保証がない」と言います。
でも、私にとってはこの賭けにこそ、唯一の保証があったのです。
それがもし間違っていたなら、私はこのまま世界からフェードアウトしていくだろう。
だが、もし本当に世界が完全ならば、何も持たず、何者でもない自分を、その完全さが抱きとめてくれるはずです。
だから、私はすべてを賭けました。
オールインです。
未来の安定も、他人の評価も、世間的なキャリアも。
「自分は、ただ存在しているだけで価値があるのか?」
その問いに、理屈ではなく、生身の人生で答えを出したかったのです。
ーーーーーーーーーー
手始めに、私は大学を辞めました。
それは一時の衝動ではなく、
極めて静かで、明確な決断でした。
大学にいることで、自分を他人と比較してしまう。
周囲のレールに乗っていないことに、焦りや罪悪感を抱いてしまう。
「学生であること」が、いつの間にか僕にとっての重荷になっていたのです。
だったら、その土台ごと手放してみよう。
「大学生」という肩書を外したとき、
私はもう“何者でもない”存在になりました。
けれどそれは同時に、
“何者にでもなれる”という自由の入り口でもありました。
世界が本当に完全なら、
私が必死に「なろう」としなくても、
必要なものは、必要なかたちで、
必要なタイミングで、向こうからやってくるはず。
そう信じて、僕は完全にこの世界に身を委ねました。
やりたくないことは全て手放し、
義務感を感じるものは片っ端から切り捨てました。
それは自分だけど自分ではない
「さあ、私に何が起きるんだろう」と他人事のように、
気楽に”私”を感じていました。
すると、不思議なことが起きてきたのです。
何の目的もなく眺めていたSNSで、ふと、
「これなら自分にもできそうだ」
と思えるビジネスが目に飛び込んできたのです。
そのときなぜか、
自分がそれをして成功している姿が、ありありと浮かびました。
根拠も理由もありません。
ただ、静かに「これだ」とわかりました。
試しに小さく始めてみて、
自分用の記録として成果をSNSに載せていたところ、
ある日突然、それを「教えてほしい」という人が現れました。
それをきっかけに、教えるという経験を得て、
対価も受け取るようになり、
やがてまた「私にも教えてください」という人が
次々と現れ始めたのです。
まるで、世界が次の扉を次々と開けてくれるように。
紹介が紹介を呼び、縁が縁を繋ぎ、
気がつけば私の顧客はいっぱいになり、
お金に困るどころか、気づけば“豊かさの真ん中”に立っていたのです。
そして、ある日、
その顧客の一人との縁を通じて、
まるで最初から決まっていたかのような、
心から惹かれる恋人にも出会いました。
これは偶然でしょうか?
もしかしたらそうかもしれない。
けれど私には、どうしてもそうは思えませんでした。
これはきっと、
「この世界は本当に完全かもしれない」という、
かつてのかすかな疑いに対する、
世界からの優しい肯定だったのです。
ーーーーーーーーーーーー
以上が、私が体験した「豊かさ」との出会いの物語です。
いかがでしたでしょうか?
「これはまさに、引き寄せの法則ですね」
と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
けれど実のところ、当時の私は「引き寄せ」という言葉すら知りませんでした。
スピリチュアルという分野にも全く縁がなく、むしろ“見えないものを語る世界”には、どこか距離を感じていたのが正直なところです。
宗教的なもの、精神論的なものに対する違和感。
それは今もなお、私の中に確かにあります。
なぜなら、多くの“引き寄せ”や“願望実現”の語られ方が、
「足りない私を、特別な方法で満たそうとするもの」に見えるからです。
けれど、私が体験したことは、そうした努力型のメソッドとはまるで異なるものでした。
願いを“叶えようとした”のではなく、ただ「自分はすでに満ちているのではないか」という疑いを手放さずにいただけです。
結果として起きた出来事は、努力や戦略の延長ではなく、自然な流れの中に現れた“必然”のようなものでした。
だから私はこう考えています。
願望実現とは、外から操作するべき”現象”ではなく、本来の自然な状態に戻ったときに、勝手に起こる“副産物”のようなものなのだと。
あなたが「何かになろう」としなくても、
あなたが「こうであらねば」と身構えなくても、
あなたという存在そのものが、
すでに豊かで、すでに創造的で、すでに愛されている。
その静かな確信に立つとき、
世界は不思議と、応答するように優しく展開していくのです。
ーーーーーーーーーー
さて、ここからはこれから始まる講義についての説明です。
「MONEY道」では私が豊かさに出会う過程でたどり着いた考えをお伝えしていきます。
この講座を受講されている方の多くはきっと
「引き寄せの法則」を元に
お金持ちになる手段として「お金の引き寄せ」を実践してきたことでしょう。
私のように
「そもそも豊かじゃなければ生きていく意味ないじゃん!」
と割り切れないと思います(笑)
なので、皆さんに馴染みのある
「引き寄せの法則」からスタートし、
徐々に豊かさに出会っていきます。
1回の講義は3から5分で読み終わるように作ってあります。
(今回のメールの半分ぐらいです笑)
スキマ時間で構いませんので、ただ、くつろぎながら、この講座を読んでみてください。
わからない部分があっても気にしないでください。
疲れた日は読み飛ばしても構いません。
言葉だけが、そっとあなたの奥に届いていれば、それで十分です。
きっとある日、
「あ、なんかちょっと世界が違って見える」
そんな瞬間が、自然とやってきます。
また、この講座を「7日間プログラム」としているのは理由があります。
豊かさとは、何かを“学ぶこと”ではなく、“思い出すこと”だからです。
そして、思考を超えて感覚で受け取るには、ある程度の時間が必要です。
多くの変容は、劇的な気づきではなく、“静かな積み重ね”から訪れます。
だからこそ、あえて「7日間」。
一つひとつの講義をじっくりと味わってみてください。
それでは、明日からいよいよ「お金に関する観念の書き換え」の本編に入っていきます。
あなたが本来の豊かさと出会い、それを“思い出す”旅になりますように。
KEIKOより
心からの祝福と共に。
